應岳和尚の今日この頃 12

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2009年12月20日(日)
自分
昨夜、NHK BSでコンサートを放映してました。マディソンスクエアーでのLIVEです。
初めから観てたんですが、CN&Yの演奏で、チャンネルを換えてしまいました。
舞い戻ってみると、「サイモン&ガーファンクル」でした!。
「サウンド・オブ・サイレンス」「ボクサー」と続き最後が「明日に架ける橋」!
アート・ガーファンクルの歌は、スゴイ!
隨分前に京都でカラオケバックに歌ったことがありますが、アリと象ほど、差がありました。(アタリマエヤロ!)
アートとポールは、仲直りしてるみたいですね。ヨカッタ。

今日2軒目の法事のお宅で、88歳のご主人とお話しました。
ご主人「奈良教育大学では、難波寺さんのこと、皆、知ってはりますね。」
私  「そうですか。」「教育大に行かれたんですか?」
娘さん「父は、教育大の市民講座を受けているんです。」
   「子供らは、勉強好きなのが似てないのばかりで・・・」


亡くなったお母さんは、書道の先生。
父は、妙心寺の大衆禅堂に通われる、勉強家。

似ないわけはないんですよね。
自分で、そう決め付けてるだけなのにな。もっと、自分の中には、可能性が一杯あることに気付いてないんでしょうか。

自分というものを考えると、皆、「自分は善人」「真面目」・・・百人いれば、百人とも肯定的に自分を認識してます。でも、他人のことになると、百人の他人には百通りの認識をしています。あの人は良い人、その人は感じ悪い人・・・。他人の目から見ると、自分も、数多くの違った人物として捉えられています。そんなもんなんですね。

勿論、最近は、自分のこと否定的に考える人も増えてます。これも、他人から見れば、「あの人は、こんな良いトコがあるのに気が付かないのかな?」と思われてるんじゃないですか?

他人の前では、人は必ず演技してます。また、演技しないと社会生活が出来ません。素の自分のまま生きてるという人は、「わがままなまま大人になった人」「タカビー」などと、他人から判断されてることでしょう。

美女・美男に会うと、うれしくなり。嫌いな人と会うと、気分を害し。

初めて人と会うとき、どんな人か分からない場合、「自分より上か、下か」を考えますよね。そして、言葉使いまで調整します。水平に見れないことが多いんじゃないでしょうか。

つまり、朝、目が覚め、社会生活をしている限り、自分の中の色んな自分を使い分けています。
意識するしないに関わらず。善人になったり、悪人になったり。猛者になったり。腰抜けになったり。

誰でも、素になれるのは、眠ってる時ぐらいでしょうか。
と、毎晩、悪夢にうなされる私が言う。(エエカゲンナ ヤッチャナ!)
2009年12月8日(火)
<B>桂米朝の弟子から僧侶になった!</B>
今日は、お釈迦様が悟りを開かれた日です。成道会(じょうどうえ)という法要を、大阪市仏教会が南御堂で執り行いました。法要後の講演をなさった方が、吉田宥禅・芸名 桂米裕さんです。

大学を2年で中退された米裕さんは、桂米朝の内弟子となります。最初の1年は、大学の落研で習ったことを全て捨てる事だったそうです。掃除・洗濯・師匠の身の回りのお世話など、激務の内弟子生活だったそうです。桂南光さんが、「内弟子は奴隷や!」といったとか。何かにつけて、「あほ馬鹿間抜け」と言われつづけたそうです。

二つの経験から、人がどう考えているかを学んだそうです。

一つは、履き物を揃える役。馬鹿になりきり、黙々と、履き物を揃えていくうちに、どう揃えれば綺麗か、どうすれば、その方が気持ち良く履いて頂けるかを考えたそうです。男性は少し外またに揃え、女性は少し内股に揃えたそうです。履き物同士の幅は、1CM5mmが、良いそうです。

二つ目は、師匠の世話です。米朝さんは、楽屋に入ると先ず椅子に坐り、タバコを吸われます。米弘さんは、椅子の用意は出来るんですが、タバコの用意、つまり、灰皿ですね。これが、近くに見つからないことがあったそうです。次からは、自分の私物の灰皿を持って行き、先ずそれを出してから、楽屋のそばに灰皿はないか探したそうです。米朝さんに「なかなか、手際がエエナ」と褒められたそうです。

内弟子の後、独立した後、酒におぼれてしまった米裕さんは、自分の生活の酷さに気が付き、心機一転、「何でもします」と、劇場、テレビ局、ラジオ局などを、ペコペコバッタで回ったそうです。

何とか、生活が出来るようになり、岡山の多聞寺という寺の住職と親交ができ、出家したいと思い始めたそうです。でも、落語界では、「副業を持ってはいけない」という不文律があり、どちらかを取らないといけないそうです。「落語家で、生活苦を我慢できなないやつは、止めてしまえ」ということです。

考えた、米裕さんは、米朝師匠のトコへ行き、「高野山で修行をしたいので、一年間、落語家を休業します。」ともちかけ、お許しを得たそうです。

現在は、立派な真言宗の和尚となり、檀信徒の布教にあたっておられ、全国を回る、本山布教師になってらっしゃいます。

立派!

私は、講演の初めだけ聞いて、帰ろうと思ってましたが、気が付けば、90分間、最後まで聞かせてもらっていました。流石、米朝さんの弟子!たいしたものです。
2009年12月5日(土)
雨の京都 東福寺の紅葉
12月3日、生野区仏教会の研修旅行で、東福寺に行ってきました。
雨が降っていましたが、総勢18名で、普段入れないところを、東福寺さんのご好意で、拝観させていただきました。

下の写真は、山門の上からの法堂の眺めです。山門の階段は、それは急な、はしごみたいな傾斜でした。山内の和尚さんたちは、山門の階段が登れなくなったら、引退されるそうです。我々一行の中に、84歳の住職がいましたが、平気で登っていらっしゃいました。他宗にもスゴイ方がいます。
法堂には「日蓮柱」と呼ばれる柱があります。日蓮宗の開祖、日蓮上人が、世話になった東福寺に、寄付をされたそうです。ビックリ!!!
2009年12月1日(火)
2件の勧誘の電話
暗くなっても、お参りしています。夕方6時の、時間指定の檀家さんの月参りです。

さっき、某通信社から電話があり、取材させて欲しいとのことでした。
地元に密着した、寺院の活動を取材したい。〇〇という有名芸能人との対談で、月刊誌に掲載しますとのことです。

なんか、胡散臭いと思って聞いていたら、最後に「掲載協力金を7万円負担して欲しい。」!!!

私「今まで、何社もマスコミの取材受けてますが、そんなん、はろた事ありません。お断りします。」

数週間前も、某NPO法人から電話があり、「全国でお葬式の時に頼めるお寺が分からず困ってる方がたくさんいます。紹介させてもらってもいいでしょうか?」とのこと。
私「臨済宗の方でしたら、お引き受けできます。」
某NPO「では、資料を送りますので、ご検討下さい。」

数日後、資料が届きました。協力する寺院の写真をHP・機関紙に載せるそうです。

某NPOの活動は、立派なものでした。

でも、「葬式を紹介したら、寄付金として、お布施の2割を収めてくれ」とあり、憤慨!
喪主さんが、お寺に納めて下さるお布施を、ピンハネしようなんて、酷いですね。

「立て板に水」の話し方をする電話には、ご用心です。
2009年11月28日(土)
車と手のケガ


昨日、自動車電柱にぶつけてしまいました。
詳しくは、書きたくありません。10日間の入院です。トホホ!

手は、ガスレンジのそばのオタマの柄が、ガスの火で熱くなってるのに気がつかず、持ってしまいました。
「ジュッ!」熱かったです。大した事無いと、ほっておいたら、プックリ水ぶくれ。オマケは、朝の掃除の時、すっかり忘れて、竹箒を持って、掃いてしまい、水ぶくれがパンク。もう、2週間以上になりますが、まだ治りません。トッテオキガ、手の消毒用のアルコールで拭いてしまい、よけいに悪化!保健室の先生をしていた下の姉から、「なんで、すぐに冷やさなかったの?」「手の消毒のアルコールは、余計悪い!」と言われましたが、答えのある質問でもなく、無言。ワカッテマンネン!

今日、先月お参りの時、バイクで駐禁取られた檀家に行きました。先月つかまった時、その檀家さんが「おっさん、隣の信用金庫の駐車場に突っ込んでください。」と言われたので、そうしました。
お参りが終わり、駐車場に行くと、警備員が待ち構えていました!
ヤバ!
すかさず、檀家さんが「ここの銀行は、隣やので、いつも使ってますねん。」と小芝居。
警備員も何も言わず、無事に済みました。
来月から、マンションの駐輪場に無理やり押し込もうーっと。
2009年11月24日(火)
京都 大法院 紅葉の会 2009/11/23
紅葉の会へ行ってきました。

毎年、上座に案内されるので、今年は、衣ではなく作務着で行きました。着いて、下座に坐っていると、大法院さんが「だめだめ、こっちに来て!」といわれ、床柱の前!シカトデス。

弦楽四重奏の司会をしました。「愛の挨拶」は、エドガーでしたよね?

今、ググってみました。エルガーでした!ヒエーッ!やってしまいましたね。お客さんの中に、たくさん詳しい人がいたのに、間違えてしまいました。Tさんの奥さん、スミマセン。いい加減な奴です、私。

料理は、阿じろさんの、精進会席です。美味しかったですよ!流石、ミシュランの一つ星。

宴席の最後に、恒例のくじ引きがありました。九重親方の色んな品が出ましたが、私はハズレ。

9時前に退散し、車で大阪へ。1号線で「なんか混んでるな。」。高速の表示板に「茨木まで15KM渋滞」。55分かけて渋滞を通過。京都から2時間以上かかりました。

えっ、紅葉ですか?夜で暗く、良く見えませんでした。ライトアップしてる紅葉は、綺麗に紅葉してました。

総括。「徳孤ならず必ず隣有り」
2009年11月13日(金)
毎年の東福僧堂
林恵鏡老師の毎歳忌に京都・東福僧堂に行ってました。

12日の午後1時に寺を出発。名神高速を一路京都へ。
2時15分に到着。
出頭する和尚たちに配る、決算書・名簿・領収書の用意。

3時から、松蔭会総会。会計報告をし、承認されました。
次回からの法要を、どこでするか審議。

4時から、宿忌のお勤め。観光客で埋まっている開山堂前の庭に面した障子を開け放つ。観光客のドヨメキ。

6時から、高台寺そばの「川太郎」で、晩炊(夕食)。領収書切が継続。

9時から10時まで、先輩のHさんに、先斗町に連れて行っていただく。京美人ぞろいにカルチャーショック!なんとも粋なお姉さんがたでした。明日から舞妓になると言う、10代の女の子が着物姿でいらっしゃいました。京都と大阪は、違う町だと再認識。

クタクタで、ホテルフジタに到着。爆睡。

10時にホテルを出発。僧堂へ、10時20分着。
11時から、半斎のお勤め。観光客のカメラのフラッシュを浴びる。
12時から、出斉(昼ご飯)。「やおじ」の精進料理。11日に大阪K寺で食べたのとほぼ同じメニュー。

帰宅後、頂いた現金と、出納帳の確認。手間取るが、最後にゴメイサーン!

欠席で振り替えで会費を納めていただいた和尚たちに郵送する、決算書・住所録・領収書・挨拶文・封筒を作成。封筒入れは、明日にします。明日は、土曜日なので、特定郵便局はお休みで、本局に出しに行くので、封筒に「料金別納」のスタンプも印刷。ヌカリナシ。

懐かしい人や、それなりの人に、たくさん出会えた2日間でした。

紅葉は、まだ少し早いようですよ。蛇足。
2009年11月8日(日)
剃った頭はケガし易い
ご覧のように、頭に傷。(タマニキズと似てるな。)

今朝、掃除をしていて、小門に頭をぶつけ、ケガしちゃいました。

坊主頭は無防備で、普段はタオルで鉢巻してますが、今朝は油断しました。

坊主頭は、無抵抗と身分を表わすものなんでしょうね。30年位前、小学生に質問されて答えられませんでした。

今日、11時からの法事で、香合(お香入れる容器)を忘れたのを、直前に気付きました。法事だから、焼香していただかないといけないのに・・・。
9時半にお参りした、お宅に忘れてきてしまいました。

頭陀袋の中を探し、衣用の香袋を発見!焼香用の炭の入った箱のふたに、中身のお香を入れ、何とか事無きを得ました。ヨカッター!

11月から、更衣(コウエ・衣替え)をして、法事の衣も、羽二重にしましたが、今日の天気では、汗かきました。

法事のお宅には、駐車スペースがなく、5分ほど歩いたコインパーキングに車を停めました。着くと「おっさん、止める場所確保しときましたのに・・・。」と言われました。法要後、檀家さんは、コインパーキングまで、供養の品を持って、お見送りして下さいました。駐車料も払っていただき、恐縮でした。私のような者を丁寧に扱って頂き、有難うございました。
2009年11月7日(土)
今日は7軒のお参りでした
8時15分に寺を出、平野区加美のお宅が1軒目。

1軒目、「以前住んでたとこ、変わりましたやろな。」以前、生野区にお住まいでした。

2軒目、「子供が、来い来いって言うけど、遠いんで・・・。」長男さんとお住まいで、次男さんは東京国立市、長女は中百舌鳥。

3軒目、「えー!今日、来てくれはる日ですか!?」ご長命の奥さんです。佛壇も閉まってました。

4軒目、「うちの近所には、90歳超えた人が、10人いてます。」話してる奥さん、89歳。

5軒目、「昔は、60過ぎたら年寄りやなーとおもてましたが。自分が67ですわ。」

6軒目、「うちで作った、オハギ食べてもらえますか?」勿論美味しく2個頂きました。

7軒目、「今働いてるとこ、首になったら、やとてくれるトコ無いですわ。」中高年の再就職は絶望的。


午前と午後のお参りの間に、東福僧堂で会下(同じ老師についていた弟子の和尚たち)に配る、会計報告書を作り、領収書を49人分作りました。今月12,13日東福僧堂で毎歳忌があります。32年目です。来年は、三十三回忌ですので、再来年からは、会下の和尚の寺で、持ち回りで、毎歳忌を執り行うことになります。幹事も、誰か変わってくれないかしら?

一昨日、大阪市が街路樹の枝払いをしてくれたので、朝に掃除が楽になった今日この頃です。

写真は、いつもニコニコ、うちの大黒さんです。
2009年11月4日(水)
長い一日でした。
午前8時半に一軒目、50代でご主人を亡くされた奥さん。前にお参りした時より、激痩せされてました。心配です。
二軒目、「おっさん、声が変ですね!」。前日の通夜で、声がかれてました。
三軒目、腰痛の奥さんと、同病相哀れむ。
四件目、「うちはタバコ屋ですから、主人、犬の散歩の時、吸殻拾って歩いてます。」

コンビニで、ミックスサンド・あんぱんと野菜ジュースで昼ご飯。

12時過ぎに、大東市の葬儀会館へ。寺からだと、小一時間かかる距離のところです。
1時から2時まで、葬儀。92歳のおじい様でした。
会館から車で30分の、鶴見斎場へ野辺送り。

骨上げが5時半なので、寺に帰るに帰れない時間だったので、鶴見区のイオンモール4Fのリブロ(大型書店)で、橋本治の本を3冊買いました。歩いてる途中から、右腰が痛み出しました。

4時半に、会館に帰り、骨上げから、お帰りになるのを待ちました。
腰が痛いので、控え室の端っこの方で、横になっていました。
「失礼します。あっ!」という、サービスの女性の声で目が覚めました。
眠ってしまいました。
そっちも、びっくりするけど、こっちも驚きました。
「今、斎場を出られましたので、30分ほどで戻られます。」とのこと。

喫煙所でタバコ吸い眠気を飛ばし、セルフサービスのコーヒーをブラックで飲み待機。

5時40分から、骨上げ・初七日のお勤めをし、七日七日の説明をして、本日のお勤め終了!

6時半ごろ帰山。お昼に頂いた折を、夕食で家内とワケワケして、頂きました。

私の留守中に、京都のMさんが、お越しになり、お土産に「堂島ロール」を頂きました。
デザートに、皆で頂きました。オイシカッター!
疲れたときの、甘いものは、身体の疲れも、心の疲れも、癒してくれますね。

30数年前、僧堂に掛搭(入門)した時、旦過ずめ(3畳の部屋で一日中坐禅をする僧堂入門の時の行)してました。夜の茶礼(サレイ・お茶とお菓子を頂きます)に、ベテランの雲水さんが、「見つからんよう、食べなさい。」と、袂に隠した甘いものを出して下さいました。5日くらい、甘いものを口にしてなかった私は、泣きそうになりながら、甘いお菓子を頂きました。

昔話です。
2009年10月31日(土)
スクーターで 駐禁!
午前中のお参りで、駐禁とられました。今月2回目です。

スクーターです。
罰金8000円。

自転車で行ける様な距離じゃないし・・・

幹線道路は、スクーターでも停める場所を、十分気をつけましょう。

ハラタツナ!
2009年10月29日(木)
正眼寺僧堂の信じられない話
臨済宗の修業道場を僧堂と言います。その中でも、特に厳しい修行で有名な僧堂がいくつかあります。

そのうちの一つ、正眼寺僧堂は、常識を超えた逸話がたくさん伝えられています。昔話じゃないですよ。

昨日、会合で正眼寺僧堂出身の和尚さんに聴きました。

「病気や怪我で病院に行く時は『イッパツデキメテコイ』って言われます。」
「虫歯で病院に行く時も、そう言われて行きます。二度も三度も通院するなってことです。」
「歯医者も良く知っていて、行くとすぐ、ペンチを持ってきます。まず、麻酔をし、レントゲンを撮り、抜歯します。レントゲンを撮るのは意味があるのかなと思いました。どうせ抜くんだから!?」

その和尚さんは、前歯がほとんど無く、マグネット式の入れ歯をされてます。鉄製の土台を歯茎に埋め込み、マグネットの義歯をつけてます。

最近、困ったのが、MRIの検査を受けた時です。ご存知のように、MRIはとても強い磁力で検査します。
その和尚さんが、検査を受けた時、歯茎の鉄が、磁力で引っ張られて顔ごともって行かれそうになったそうです。検査の3、40分間、それこそ、歯を食いしばって「うーーーん!」と頑張ってたそうです。

もう2度と、MRIは受けないそうです。
2009年10月25日(日)
本日 obブラス 本番でした
本日、オータムコンサート、無事終了しました。
観に来てくださった方々に、御礼申し上げます。
檀家のKさん夫妻も来て下さって有難うございました。

うちのOBバンドのホルンパートは凄いんです!
開場の時に、客寄せで、玄関前で、ホルンパートでデモンストレーション演奏。
幕間に、ロビーで同じく演奏。それも、マーラーの1番の有名な部分を演奏!
驚いちゃいました。あいつらばてないんだ!!!
いつも本番で、ラッパパートを吹き飛ばすような音量で吹きまくり、あおられてラッパパートも吹きまくると言うことがいつもあります。ホルンのトップのH君は、それはスゴイ人です。

今日、初めて会ったラッパのTさんは、羽曳野のブラスで吹いてる方で、とてもお上手でした。Tさんと団長のN君のお陰でラッパパートは無事演奏を終えることが出来ました。

私ですか?
数日前からのぎっくり腰で、思いっきり吹くと腰が痛いのです。第5線上のソ以上は、腰に負担がかかり「ウッ!」って感じでした。
でも、本番中、痛みを感じたのは、立ち上がる時だけでした。結局、いつものように吹いちゃいました。いたいのどっかに飛んで行きました。合奏練習にあまり行けなくて、まずったところはありましたネ。トホホ

総括:今日は楽しい演奏会でしたトサ。

オマケ:
帰り道、腰痛で変な歩き方してたら、聞きに来てくれた家内に
「頭剃って、そんな歩き方してたらヤクザみたいよ!」ってつっこまれました。気が付けば、腰痛のため、猫背で膝を曲げ外またで歩いてました。これでは、二の句が継げませんでした。家内も、大阪生活が長く、ツッコミが上手くなりました。トホホ
2009年10月19日(月)
高校ブラス 本番前
来週の日曜日午後2時から、松原市文化会館で第11回オータムコンサートが本番を迎えます。

今日は、朝10時から夕方5時まで、生野高校で練習がありました。時間が長く、持病の腰痛がでました。練習中に痛くて立ち上がるので、皆さんに、変に思われたかもね。

今日は、トランペットの参加者が少なく、ほとんど、私一人でラッパセクション吹いてました。トロンボーンは7人、ホルンは4人参加してました。辛いものがあります。マッ、イイカ。

本番には、ラッパセクション5人確保できたので、少し安心。ヨカッタ!

今後の練習は、もう参加できません。お参りが練習時間と重なっているからです。
本番当日も、午前中、法事があり、ゲネプロにも参加できません。
ということは・・・
そうです、このまま、本番になります。

トップ吹くのは、「メリーポピンズ」「フック・オン・ビートルズ」「天地人」です。大曲の「トゥーランドット」は2番です。2番でも、キツイですよ。15分以上かかりますから。


今日、1曲以外は、楽譜もらいましたので、個人練習します。もらってない楽譜(天地人)は、メールにPDFを添付して送ってもらいます。

お昼の休憩時間に、食事をします。長年、高校の音楽教諭をしてらしたH先生は、たくさんのOB・OGを連れて昼食に行かれました。人徳ですね。良い方なんです。
2009年10月11日(日)
凸と凹
先日、兵庫県でお通夜の時、少しの時間、参列者の方たちにお話をしました。いつも、一人でもいいから、なにか感じていただけたらと思って、駄弁を弄します。


まあ、話は凸と凹です。話すほうの凸が聴くほうの凹に、はまれば通じます。


毎回違った話になりますが、「命」「心」「死」がテーマになります。自分が、「こう考えれば、楽だな。」と思った考え方を話します。


和尚は、葬式・法事を多くやってるので悲惨な場面に遭遇することが多々あります。そういった経験の中から感じたことは、自分自身の生き方にも大きく影響しています。


最近感じたのは、「人は自然から子宮を出口として生まれ、棺桶を入り口として自然に帰る。」これは、MRIに入ったときに何故か落ち着きウトウトした時に「棺桶の中に入った時も、こんな感じかな。」って思ったのがきっかけでした。・・・まだ、自分の中でもまとまってません。ブログということでお許し下さい。


話は戻ります。兵庫県でのお通夜のあと、司会をしていた葬儀社の女性の方が、少し離れた駐車場までわざわざ見送って下さいました。

話をお聞きしたら、その方の若い息子さんがバイクの事故で、植物状態だそうでした。ほんの数分の会話でした。お辛そうで泣きながら話されていました。駐車場に着くと「仕事中ですので・・・」と式場に戻られました。


翌日の葬儀の後、寺に帰る時間が無いので、2時間半ほど待機していました。初七日も終わり、帰る時、駐車場で車に乗ろうとしたら、件の方が自動車を運転して式場に帰ってこられ、「他の仕事がありましたので帰ってこれませんでした。ご縁がございましたら、またお会いしたいです。」と声をかけてくださいました。お辛いんだなと思いました。凸と凹が合ったんでしょうか?檀家さんに、子供さんがほとんど植物状態で20年以上介護されてた方がいましたので、お気持ちは少しは分かる気がしました。


凸と凹は、無意識の中にあるようです。
2009年10月8日(木)
大阪府仏教会 理事会
今夜は、表題の会合が、日航ホテルでありました。

11月12日午後3時から、仏教徒会議を同ホテルで開催することになりました。
一般参加もOKです。

問題は、パネラーが、元衆議院議員 矢野絢也氏なんです。
自公連立政権崩壊の後の問題を、討論するようです。
公明党が、政教分離を無視していますが、既成仏教が、公開の場で、反創価学会の矢野絢也氏を迎え、討論するのは、危険を感じます。既成仏教は政治と一線を画すべきじゃないのかな?危なっかしい企画をしたもんだと心配です。

府の仏教会は、いつも豪華な夕食を出してくれます。今夜は、フランス料理でした。おなか一杯になりました。もう、白玉善哉しか食べれません!?ゼンザイナラ、タベルンカイ!
2009年10月7日(水)
一泊二日の東京行き その2
今回の用事は、谷中の全生庵での斎会に出頭することでした。
全生庵は、山岡鐵舟が明治時代に建てた臨済宗の名刹です。

難波寺の先々住(前の前の住職)の山本玄實和尚が、全生庵の先々住でして、玄實和尚の五十回忌が執り行われたのでした。ちなみに私の父は、玄實和尚の一番弟子でした。
もう、二十数年前、何度か父を全生庵まで、車で迎えに行ったことがありました。そのおり、今日、十七回忌だった、平井元恭和尚にもお会いしました。とても、素敵な和尚さんだったのを覚えてます。父に聞いたら、「そら、東京の和尚はちゃうで。百貨店の松屋や、あんぱんの木村屋が檀家やからな。」と言ってました。

法要の後の齋座(お昼ご飯)は、京都の、泉仙の鉄鉢料理でした。

「泉仙の鉄鉢料理の器は食べ終わると一部の陶器の器以外は全て重ねることができます。
これに蓋をかぶすと一まとめできます。機能的で日本的な美です。材質は木材で漆塗です。」泉仙のHPより。

へー!京都から出張してきてる!と驚きましたが、今、ネットで見たら、世田谷店がありました。ソウヤロナ

野沢の龍雲寺さんにも、お会いすることができました。
文京区の養源寺さん、舞鶴の東山寺さんにもお会いしました。

私の関係のある、玄實和尚は、五十回忌が済みましたので、もう、伺うことはないと思います。
一期一会。貴重な経験をさせていただきました。

印象的だったのは、現住職の平井正修和尚が、私のキャリーバックを玄関から和尚の控え室まで、運んでくださったことです。名刹の住職でありながら、そんなことをして下さるなんて、とても出来た方だと感服しました。ソンナン、イウンヤッタラ、ジブンデ、ハコバンカイ!

「実るほど頭を下げる稲穂かな」
2009年10月7日(水)
一泊二日の東京行き その1
夜、6時過ぎの新幹線に乗り、得意の「日本の味博覧弁当」を食べました。
千円のお弁当で、とても美味しいですよ。新幹線ご利用の方は、お試しあれ!


泊まったのは、ホテルモントレ銀座です。ネットでとると、1万9千円の部屋が、1万1千円です。朝食つきです。とてもお洒落なホテルなんですよ。京都で泊まる時も、モントレを利用しています。
2009年10月6日(火)
駐車』禁止で、また、つかまりました。
今日は雨で、午前中、車で四軒の月参りに行きました。

4軒目で、いつも停める駐車場が営業してませんでした。仕方なく、周辺ワンブロック探しましたが、駐車場がありませんでした。
えーい!ママヨ!と檀家さんのビルの前に、路駐しました。

お勤めが終わって、出てきたら、キッチリ張られてました。一万五千円!

寺の周辺には、一日中、駐車している自動車がたくさんあるのに、生野警察は取り締まりません。M鍍金工業は、年中、24時間、路上駐車しています。不条理ですね。よーわかりません。

今日は、夕方まで、月参りし、終わったら新幹線で東京に行きます。谷中の全生庵で斎会があります。7日に日帰りしようかと思ってましたが、疲れるので、一日前に上京します。
2009年10月5日(月)
「文七元結」聴いて涙・・・
今日は、本源寺さんの斎会(亡くなった住職の法事)がありました。

茨木市まで、自動車で行きました。

その時、カーステレオのiPodで聴いたのが、立川談春の「文七元結」
初めて聴きました。最後、泣けました。

「鼠穴」「芝浜」も泣ける話ですが、談春の「文七元結」は、絶品でした。
志の輔も大好きですが、談春も良いですね。
なにか、家元がほめてたとか聞きました。
東京の落語家は頑張ってますね。上方も負けちゃダメですよ!

法要は、円福寺僧堂老師の導師で、無事円成しました。
お疲れ様、ガマちゃん!
2009年10月3日(土)
コンサートの開演に遅刻
昨日、2日夜7時から、カナデ on ブラスのコンサートが、豊中市でありました。

15人の金管のみのアンサンブルです。トランペット・ホルン・トロンボーン・ユーホ・チューバです。

仕事が6時に放出(これ、ハナテンと読みます)で終わり、カーナビで検索したら、新御堂と阪神高速と2種類ルートが表示されました。「1時間あるから、シンミで行けばいいか・・・」と思い、梅ヶ枝町から新御堂に乗ったら、新大阪の手前から酷い渋滞です。しょうがないです。降りることもできずノロノロ走ってました。コンサート会場に着いたら、7時5分でした。駐車場に車を止め、駆け込みました。

2曲聞き逃しましたが、何とかセーフ。
とても響きのいい、音程もしっかりした演奏でした。特に、門田君・大西君のピッコロトランペットがいい音していました。素敵でした。いいコンサートでした。

終了後、ユキちゃんに、お祝いを渡したら、「こんなんしてもらったら・・・」と困惑されてましたが、お菓子やお花を買う時間が無かったので、強引に受け取っていただきました。メイワクダッタノカシラ・・・

明日は、高校OBブラスの練習が午後からあります。今日、仕事がきつかったので、午前中の法事が終わってから、行くかどうか決めます。練習場所が河内長野市にあり、車で1時間チョイかかるので・・・
2009年9月29日(火)
高校OBブラスの練習
10月26日の本番に向け、ブラスの練習に参加しました。
場所は生野高校の音楽室を使わせてもらいました。
寺から、車で20分くらいで行けるので助かりました。

10時から13時まで練習するとメールが来てたんですが、
私が着いた9時35分には、誰も着てなく、練習が始まったのも
10時20分からでした。

和尚は行事・会議の時は、30分前に到着というのが不文律です。
「京都時間」といい、京都の人も、約束の時間の30分前には集まります。

まあ、郷にいれば・・・ですね。

14分かかる大曲「トゥーランドット」のみの練習でした。

TP2人!TB3人、パーカッション2人、クラ2人、フルート2人、
SAX1人、ホルン3人、1人ピアノ(TBの人です)の16人しか集まれませんでした。

OBが、オケのスコアーを編曲してブラスでできるようにしました。

後半、TPはffかfffで、白丸が多く、ヒエーッ! でした。きついんです。ハイ。
1時間半くらい、最初からチェックしながら最後まで練習し、「フーッ」と思ったら、指揮者が「じゃ、最初から通してみます。」!!!

死にそうになりながら、最後まで通しました。

同じTPの団長が「この曲の前に、曲解説を入れましょう。」と言ってくれました。

今後、日曜の練習が予定されてますが、法事が日曜に集中しますので、中々参加できそうにありません。何とか、ほかの曲の練習にも一度は参加しないとな。

TBの男子が自分の子供(一歳半)を連れて来てました。その子の可愛いこと!私があやすとニコニコしてくれました。
団員たちは、殆どが私の子供くらいの年齢です。そんな人たちと演奏できるのはホント幸せです。
2009年9月20日(日)
今日、彼岸法要でお話したこと
朝、一時間かけて掃除。もう一時間で提灯、幕張その他準備。
10時頃から、お手伝いの皆さんがお見えになりました。

普段、朝9時に来てくださる阿じろさんが、名神高速の渋滞で、京都から2時間半かかり、10時半に到着されました。
出斉(しゅっさい・お昼ご飯を出すこと)は、11時半からなのでギリギリセーフでした。
ご飯を、寺に着いてから炊かれるので、危ないとこでした。

さて、法話のことです。

今日は、レジメは全く考えてなく、ブッツケ本番でした。

最初、「週刊朝日」に特集されてる「直葬」の話をしました。
太古の昔から、人は弔うということをしてきたということ。
臨済宗の葬儀の解説をお話しました。
皆さん、葬儀で何をやってるかご存じないですからね。
「黙って、任せといたらいいのや!」というのは、古い考えですね。

後半は、自分の人生の捉え方についてです。
楽しい人生だと思う人は、自分の生きてきた経験の中で、楽しいことをピックアップします。
悲しい人生だと思う人は、自分の生きてきた経験の中で、悲しいことだけを集約します。
楽あれば苦あり。
誰もが、楽しいことと悲しいことを半分くらいづつ経験しているのです。
皆、同じです。

もう一つお話したのは、自分が真面目で正直だと思うのは止めましょう ということ。
そう思いたいのは分かりますが、これってしんどくないですか?
「私も、悪いこといっぱいしてますよ。」とお話しました。
楽に行きましょうよ。
自分に優しくしましょう。
嫌な自分も認めてあげましょう。

そうすれば、楽に生きれますよ。

てなことを、お話しました。
Y村さんや、O村さん・N濱さん・S谷さん。熱心に聴いて下さって有難うございました。

今日で、今年の大きな行事は終了です。
明後日から、母は二泊三日の旅行に行きます。

23日まで休みだから、草ひきでもしてますか・・・
2009年9月17日(木)
今日は電話相談の担当日でした
写真の電話の表示画面をご覧下さい。

87分間、相談を受けました。

東海地方の方で、最後のほうで、「電話番号が「花園」に出てました。」という話が出て、妙心寺派の檀家さんだと分かりました。

対人関係が上手くいかないという、お悩みでした。姑さん・義兄弟・ご近所・担当医などと、上手く人間関係が結べないそうです。でも、ご主人とは上手くいってるようで、救いがありました。自分でも、自己分析され、状況をよく把握されてました。

ただ、頭で分かっていても問題は解決しないということでした。理屈では分かっているんだけど・・・というのは、誰しも経験することですよね。

人に教えられた解答ではけして解決しない問題は、自分で悩みぬき、ひらめき(小さな悟り)を待つしかないなと感じました。苦しみから逃げず、じっと耐えて辛抱する時間も避けられないですね。

勿論、私自身を含めてです。

ただ、たった一人でも、自分を認めてくれる人がいれば、救いはあります。

悩みを打ち明け、「そうですね。」と認めてくれる人がいれば、生きていけます。

ほら、そこにいらっしゃいますよ。
2009年9月13日(日)
おばあちゃんと孫が同じ誕生日
今日は、私の母と、長女の誕生日です。

母は、88歳の米寿になりました。来月、皆で集まりお祝いをする予定です。

長女はXX歳です!?カイタラオコラレル

上の姉の長男は、私の祖母が亡くなった四月一日に生まれました。生まれ変わりだと、皆に言われてます。

ちょうど、私が東京の大学に合格した時で、上京する日に会いに行き、抱っこしたのを覚えています。

家内は、昭和天皇と誕生日が同じです。そして、私の誕生日に昭和天皇は崩御なさいました。

365分の1の確率ですが、なんか不思議だなと思います。
2009年9月7日(月)
九州 小倉 日帰り
今日は、法類(寺の親戚)の和尚と二人で、小倉のT寺さんに、三男のKさんを、難波寺の後継者に迎えるべく、ご挨拶に行っていました。

朝、7:12ののぞみに乗り、小倉駅に着くと、D院さんが正装して、お迎えに来て下さってました。ビックリ!

T寺さんの自家用車で寺まで乗せて頂きました。

控えの間で、紫衣・大掛絡に着替えさせて頂き、奥の間で、ご挨拶をしました。
T寺さんの閑栖和尚・住職和尚・本人・本人のお兄さんの和尚のまえで、口上を述べさせていただき、お供えの品々を受け取っていただきました。

ご快諾賜り、Kさんは、難波寺の副住職として来ていただく事をご了解いただきました。フーッ!

おばあさま、お母様も、ご挨拶にお出ましいただきました。元気なおばあさまと、美人の素敵なお母様でした。

その後、高級料亭で、会席料理を皆でいただき、(河豚とカラスミ・鱧が特に絶品!)楽しい3時間でした。細かい打ち合わせや、先方のご要望もお聞きすることができました。

Kさんは、難波寺には勿体無いような、素晴らしい和尚です。これから、二人で寺を盛り上げ、Kさんにも対外的に活躍して欲しいものだと思っています。

皆さん、有難うございました。感謝しております。今後とも宜しくお願い申し上げます。
2009年9月1日(火)
東京 世田谷 龍雲寺に行って来ました
8月30日、内の寺の副住職候補が世話になっている、龍雲寺さんにご挨拶に行って来ました。

それは、素晴らしいお寺でした。広いこと!世田谷に2万坪!ヒョヘーッ!

住職の細川景一師は長年妙心寺派の宗務総長を歴任されていました。宗務総長は、内閣の総理大臣に当たる役職です。細川師は、老師(悟りを開いた方)で著書も2冊出版され、地元での活動も、半端じゃなく、スッゴイ方なんです。

奥様にも、お会いし御挨拶させて頂きました。奥様は、故松原泰道師の娘さんで日本画家でもいらっしゃいます。江戸っ子の感じのする素敵な方でした。


法事の多い日曜にもかかわらず、暖かく迎えて頂きました。当日も4件の法事があったそうです。

出していただいた羊羹と水菓子を完食し、にこやかに話される細川師と和やかな時間を過ごさせていただきました。

理想的な寺と住職の姿を、拝見させていただきました。
2009年8月26日(水)
草引きしてました
8月1日から15日までの、棚経の後は、月参りのお勤めが無いので、地藏盆の後は、今月末までお休みです。

蓄積疲労のため、一日中、うとうとしてます。

「これではいかん!」
と思い、午後から草取りしてました。持病の腰痛が出ないように気をつけながら、なーんも考えずに草を引いてました。

気持ち良いですね!すっきりしました。庭も心も・・・
2009年8月24日(月)
地藏盆が終わりました
23,24日の地藏盆は、24軒の方の御供を頂きました。現金・お菓子・飲み物(種々の缶飲料)です。近隣の方のお供えが多く、夜、7時のお勤めが終わると、子供たちに袋詰めして、お菓子・飲み物を渡します。昨晩は、20人くらい、今晩は、35人くらいの子供が、お供養をもらっていきました。色んな子供がいて、地藏さんのそばまで行き、線香をつけたり、鐘や木魚をたたいたりする賑やかな子がいたり、お堂の前の、紐の付いた鐘をならし手を合わせる子、何にもしないで、「お菓子チョウダイ!」と叫ぶ子!

お地蔵さんは、慈愛のこもった目で、子供たちを見守って下さってました。

地藏盆の夜は、いつも涼しい風が吹きます。
もう、秋が来ます。
2009年8月17日(月)
棚経中に駐車禁止取り締まられました
棚経中に、駐車禁止とられました。クー!
たった3分でアウトです。

昨日、堺市のS寺さんに話したら、
「そんなん、黙ってたらいかん!私は、堺警察に文句言いに行きました。
善行を施してるのに、なんちゅうことをしとるのか! と言ってやりました。」

私に、そんなことが言えるはずもなく・・・
2009年8月6日(木)
夜 8:30 電話が鳴りました
はい、なにわ寺です。

えー、なんばでらじゃないですか?

正式名称は なにわじ です。

あの、三回忌のことで聞きたいんですけど・・・

はい。

あの、お布施って、いくらくらいですか?

ご宗旨はなんですか?

さあ、・・・。難波寺さんでは、三回忌のお布施はどのくらいですか?

別に、決まってません。来てもらってるお寺さんに、お聞きになったら如何ですか?

それが、葬式は、**寺でやったんですが、住職が金のことばっかり言うので・・・
(ここから、住職の悪口を延々と話される。)

分かりました。で、どうゆうご用件で電話されたんですか?

おたくで、三回忌をやりたいので・・・

うちは、檀家さん以外の方の法事は、お受けしていませんが。

それやったら、はよ言うたらええのに。ガチャ!

こうゆう電話は、度々かかってきます。幸い、**寺は臨済宗ではなかったので助かりました。

お布施は、喜捨であるべきで、いやいや出すなら、お布施ではなくなります。
寺への寄付と、考えれば如何でしょうか?お経代と考え、住職の個人所得になると考えるから、話はこじれます。住職は、給与所得者で、いくらたくさん頂いても、給料は変わりませんから。

修行中、托鉢に出て、ご寄付を頂きますが、低頭するだけで(頭を下げる)相手のお顔もみません。ただ、喜捨に対し、恥ずかしくないよう、修行しようとは思いますが。
2009年7月29日(水)
難波寺の施餓鬼法要
昨日は、表題の法要をおこないました。春と秋の彼岸法要と違うのは、本堂の正面と逆の北側に、写真のおまつりをします。これは、餓鬼に施しをするということで地獄の方向に向かって、お勤めをします。亡くなった方が餓鬼道に落ちていては大変なので、餓鬼の食べる、洗米や生野菜乾物などをお供えします。読み上げた塔婆を水の中に入れるのも、普通のものを食べようとすると火に変わると言う餓鬼道のことを思い、水で冷やそうという気持ちを表しています。

亡くなっても人は、身内や関係した人の中に存在しています。亡くなった方の行く末を想像し、何かしてあげたいと言う気持ちを持つことが、とても大切なことだと思います。

お手伝いに来ていただきた8人の和尚さんに感謝。参列してくださった檀家さんに感謝。手伝っていただいた、精進料理の阿じろさん、お手伝いして下さった奥さん、ご主人たちに感謝。用意・片付けを手伝ってくれた業者さんたちにも感謝してます。全ての方に「ありがとう」

有難いことです。
2009年7月23日(木)
寒山寺の施餓鬼にて
今日は、法類(寺の親戚)の寒山寺の施餓鬼法要でした。

10人ほどの和尚が加担(手伝い)に行きました。

Hさんが、「最近、月参りが減りました。以前は170軒くらい参ってましたが、今は、120軒くらいです。」というと、何人かの和尚が「うちもそうです。」と話していました。難波寺も同様で、月参りが以前に比べ少なくなりました。

日本人の特性で、皆がやると私もやり、皆が止めると私も・・・。というのが原因の一つでしょう。和尚がお参りの功徳を分かりやすく説かないのも原因です。昔は、「そんなこと当たり前!」で済んでたことが、今では通らなくなっているんでしょう。

個人に対し、自分は精一杯のことをやり終えたと思える人は、果たしているんでしょうか?
いないでしょうね。
だから、追善供養を行うんです。私は、修行中、寝たきりの和尚さんの世話を3人でしていました。でも、その和尚さんが亡くなった時、世話をし尽くしたとは到底思えませんでした。今も、11月12,13日は京都・東福寺の和尚さんの法要には欠かさず参列しています。報恩謝徳といいます。恩に報い、遺徳に感謝すると言うことです。自分が死ぬまで、その御恩は忘れてはならない。

亡くなった方に、どうやって感謝の気持ち、謝罪の思いを表すのか?仏教徒(自覚してるかは別にして)なら、葬儀・法要の儀式をするくらいしか、出来ることは無いんじゃないですか?その方を偲ぶ。偲ぶという字は、ニンベンに思うと書きます。その方のことを思うことが肝心です。葬儀・法要に替わる方法を見つけ選択されるのはご自由ですが、そんなに簡単に1300年日本人が続けてきたことを、あなたの代で、簡単に変えて良いものでしょうか?遺伝子により代々伝えられてきたことを無意識は知っていますよ。
2009年7月19日(日)
だんじり
お寺の横に「だんじり」が来ました。太鼓と鉦で拍子を取り、屋根の上で踊ります。

幼い頃の母との会話。

私「おかあちゃん、だんじりきたで」
母「そうやね」

私「あの、チキチンチキチンていう の、やってみたい!」

母「あれはな、ええしの子しかでけへんの」

私「フーン」

「ええし」は「裕福な」と言う意味です。

同級生が鉦を叩いてるのを、羨ましく眺めていたのを思い出します。

夏 本番です!
2009年7月16日(木)
問題です。間違い探し。
さて、この写真に写ってる人の何かがおかしいです。さて何でしょう?



毎朝7時頃に寺の前を掃除してると会う数人の常連さんの一人です。「おはようございます」と声をかけてくださる2,3人の方と、バス停でバスを待つ(当たり前か、バス停で電車は待たないな)女性の方ETS・・・。



犬の散歩はおかしくないですね。何かがおかしい!?








この方は、「金属バット」を持ちながら犬の散歩をしています!理由は知りません。たずねてバットでどつかれるのは嫌ですからね。100歩譲って「犬がメスで、雄犬が寄ってきたら排除する」なんて理由もなきにしも・・・。一つ言えることは「お近づきにはないたくない」ですね。

2009年7月13日(月)
施餓鬼が始まりました
今日、寒松寺さんで施餓鬼の法要がありました。加担の和尚が11人で、内2人はH寺さんの息子の大学生でした。檀家さんは、100名以上お参りにこられました。午前10時から午後1時半までお勤めをし、お昼のご馳走をよばれ、夕方帰って来ました。

寒松寺さんは、元大阪工業大学の応援団親衛隊長のつわもので、修行道場でも親分肌で面倒見が良く、今日も各地から僧堂の後輩だった和尚が寒松寺さんを慕い加担に来てました。その和尚さんたちは片づけまでするんです!普通は、終わった後、寺族と関係者が手分けして片付けるんですが、加担の和尚が片づけをするのは寒松寺さんだけです。「徳孤ならず」ですね。


今日から8月末までの恐怖のお盆が始まりました。苦行と言っていいでしょう。皆で「地獄の釜が開いたな」と言ってました。今年は誰も倒れないといいなと思いました。
2009年7月10日(金)
ABSで危険回避
7月9日午前11時頃でした。走りなれた阪神高速環状線を車で(当たり前か)走ってました(自転車では走れません)。4車線の環状線はまあまあ、すいていました。池田線の分岐に近づき、左から2車線目に車線変更。前を、熊谷ナンバーの日産の車が走っていました。「慣れん人やろな」と思いつつ、後ろを走っていました。分岐に入る直前、前の車が急停車!「なんや!」と急ブレーキ!「トトトトトト」(ABSのきく音)尚且つ間に合わなく左へハンドルを切りました。左後方から来た車にクラクションを鳴らされつつ、前方車と20CMくらいの距離で停車!ハンドル切らなければ追突していました。熊谷ナンバーの人は、右から割り込もうとした車に道を譲ろうと減速し、前の渋滞も影響し、急停車したようでした。その後、何事もなかったように車は動き出しました。走りなれてる道でも、何があるか分かりませんね。ABSが付いてなかったらと思うとゾッとします。

大阪空港のそばのセブンイレブンでタリーズのエスプレッソ(160円、安いでしょ)とサンドイッチでお昼でした。美味しかったですよ。
2009年7月3日(金)
社会と仏教界のリンク
昨日、大阪市仏教会の総会に出席しました。事業報告・予算決算報告など。

少し、紛糾しました。市仏教会から、かなりまとまった退会者が出たからです。退会の理由は不明でした。生野区の仏教会も、会員数減少の傾向にあります。どうしたことでしょう?我々世代の、「まあ、お付き合いだから・・・」という意識は、今の若い僧侶にはないのでしょうか?

大阪市内の町会の活動でも、同じことが起こっていることを、周りの人からお聞きしています。「まあ、お付き合いだから・・・」は、町会という、小さな社会でも、崩れつつあるようです。

一見、無駄に見えることが、人間関係の潤滑油になっていることに気付くべきなのかも知れませんね。

秩序から混沌へというエントロピーは止められないのかも知れません。

「嫌な人とも付き合わなければいけない」というテーマを無視して、人間は生きれないのかもしれません。

閑話休題

「村八分」とは、付き合いは止めるが、葬式・火事だけは、除外するということです。最近の、「家族葬」という、葬儀産業が作った言葉に乗せられて、家族だけで葬儀をなさる方がいるようです。これでは「村九分」ですね。悲しいことです。