お盆について

難波寺壇信徒用

一、お盆の由来

お盆の語源は、サンスクリット語の「ウランバナ」です。「ウランバナ」とは、
漢字で「 うらぼん 盂蘭盆」と音写され、「 とうけん 倒懸」つまり、
「逆さに吊るされる苦しみ」 という意味です。
日本では、最後の一文字だけをとって「盆」といっています。
「盂蘭盆」の意味は、「 うらぼんきょう 盂蘭盆経」というお経の中に出てくる、
目蓮尊者の 物語からきています。
ある日、目蓮は、生前、自分をとても可愛がってくれた母が、死後の世界で、
どんな様子なのか、神通力で覗いてみました。するとあの優しかった母が、
なんと餓鬼道に落ちて、もがき苦しんでるではありませんか。
困り果てた目蓮は、 お釈迦様に相談しました。
お釈迦様は、「目蓮よ。お前の母親は、生前、お前のことだけを可愛がり、
他の子の事は、何も気にかけなかった。自分の子さえ幸せなら、
それで良いと思っていた。その利己的な考え方のせいで、
今、餓鬼道に落ちている。もし、七月十五日に修行期間を終えて、
外に出てくる僧侶達に供養をすれば(衣食などをお供えすること)
お前の母は勿論、餓鬼道に落ちて苦しんでいる人々は
その苦しみから逃れることができるだろう。」と示されました。
目蓮は、お釈迦様の教えどうりにしたところ、母を救うことができました。
母の救われた姿を見て、目蓮は踊りまわって喜びました。
これが盆踊りの始まりです。 以上が「盂蘭盆」の由来です。

二、なぜ、お盆は八月十五日なのか

さきの話しの中で、なぜ七月十五日なのか気になりますね。
それは、古代インドでは、四月から七月までの雨季の間は、
僧侶達は外出を禁じられていたのです。雨季の間は、
草や木や虫や小動物たちが成長する時期なので、
それらを傷つけることの無いように、屋内で修行をしているのです。
そして、雨季が終わる七月十五日、僧侶達は、宗教活動のために、
外へ出ていくのです。目蓮は、その日を選んで、供養したわけです。
日本では、仏教伝来とともに、お盆の行事が始まりました。
そして、江戸時代には先祖供養と、無縁の亡者の供養が結び付いて、
全国で同じ時期に、盛んに行われるようになりました。
しかし、明治時代になり、新暦が採用されると、全国一律、七月十五日では
都合が悪くなりました。それは、当時、国民の八割近くが農業に従事していたので、
新暦の七月十五日は農繁期で、とてもお盆の行事を、やっている余裕が
なかったのです。
そこで、月遅れ盆と言い、八月十五日に、 お盆をすることが全国的に
主流になりました。現在でも、岐阜以東の地方では、七月盆が主流の
ようですが、お盆の帰省ラッシュを見ると、やはり全国的には、
八月の月遅れ盆が主流だといえます。

三、お盆の迎えかた

お盆は、浄土真宗以外の宗派では、一年に一度、その家のご先祖様を、
お迎えして十分なご供養をするときです。地方により、また、その家の習慣により、
その形式は様々なようです。
普通、八月十三日に、お墓参りをし、その時の、お灯明の火を提灯に移し、
家の門口で、オガラを、その火で燃やし、その火を、仏壇のお灯明に移し、
迎え火とします。しかし、最近は、お墓も遠方の方が多いようですので、
家の 門口で、オガラを燃やすところからで良いと思います。
そして、十五日(十六日)の夕方、仏壇の火を、家の門口のオガラに移し、
送り火とします。 大阪では「七日盆」といって、初盆の方は、八月七日から、
お盆のお供えを始めるようです。
京都の大文字焼き、九州地方の精霊流しは、送り火の行事です。

四、お盆のお供え

関西では、盆棚をつくり、生野菜、果物、お菓子、洗米、
キュウリで作った馬 茄子で作った牛、蓮の葉の上に清水
(生野菜、ダンゴ等をお供えすることもあ る)
お量具膳(お箸は、オガラにする。餓鬼道に落ちた者は、
塗りのお箸は重くて持てないから。)などをお供えします。
また、オガラで、鳥居のような形を 作り、かんぴょうや、
ほうずき等をつりさげたり、オガラで、畳から、仏壇まで登れる、
はしごを作ったりもします。
生野菜、お菓子、蓮の葉は、八月の初めに なれば、スーパー、
市場で売っていますので、それを利用しても結構です。
普段、法事のときに、供えないものを、お供えするのは、
先程ご説明した、目蓮さんの話しに出てきた
「餓鬼道に落ちて苦しんでいる人々」にも、お供えして供養するためです。
お茶湯も忘れずにお供え下さい。昔は、一日何度も何度も、お茶湯を
入れ替えるほど、信仰深いとされていたようです。(現在そんなことは、言いませんが。)
馬、牛は、足をオガラで作り、トウモロコシの毛で尻尾を
(小豆で目を作り、南天の葉で耳を)作ります。
また、馬と牛は、十三日には、仏壇の方に向け、「これに乗って、帰ってきて下さい。」。
十五日には、反対に向け、「これに乗って、お帰り下さい。」と念じます。
迎え火、送り火と同じ意味です。

五、棚経について
お盆のときにあげるお経を、棚経といいます。
これは、「盆棚の前であげるお経」という意味です。
この習慣は、江戸時代、徳川幕府の意向により
檀家制度を強化するために始まったものだそうです。

難波寺では、八月二日〜十五日の間、棚経に参ります。
わずか二週間の間に、普段の月参りの倍近い数の檀家さんを全てまわる
この棚経は、私達僧侶にとって大変厳しいお勤めです。
多い日で一日に数十軒のお参りをすることから、時間的には短いお経になりますが、
大切なお勤めには変わりません。
どうぞ、お勤めの間はご一緒にお参りし、ご先祖を心からお偲び下さい。


六、最後に


 お盆の間は、今は亡きご先祖を偲び、自分が受け継いだ命の尊さを感じ、
生かされていることに感謝することを忘れてはならないと思います。

また、目蓮さんの話を思い出し、「自分だけ良ければ・・・」という
小さな心を無くし、有縁の方も、無縁の方もできるだけ同じように
 接するよう勤めてまいりましょう。

妙心寺の「生活信条」にもあります。
人間の尊さにめざめ、自分の生活も、他人の生活も、大切にしましょう。


平成十六年十月二十五日 難波寺住職 三木 應岳 合掌