戒名について                       難波寺檀信徒用  

 一、戒名とは

 一般に、戒名とはこの世に別れを告げた時に、旦那寺の和尚さんにつけて貰うものだと
思われているようですが、それは少し違うようです。 
 戒名とは、仏教徒になった時に与えられる名前です。
 戒名の戒とは戒律という意味です。
(仏教徒と言うと何かピンとこない方は、信者になると思って頂いたら
いいと思います。) 戒律とは、仏教徒になったらこういうことはしては
いけませんと言う規則の事です。
 
 例えば、有名な戒律に、「五戒」があります。
一、ふせっしょう不殺生 ・・・無意味な殺生をしてはいけない。
二、ふちゅうとう不偸盗 ・・・盗んではいけない。
三、ふじゃいん不邪淫 ・・・不倫をしない。
四、ふもうご不妄語 ・・・罪な嘘をついてはいけない。
五、ふおんじゅ不飲酒 ・・・人に迷惑をかけるような酒は飲まない。

 このような戒律を、守り仏教徒になると約束した時に与えられる名前を、
戒名といいます。  キリスト教で言う、洗礼名(クリスチャンネーム)と同じ物
だと思っていただければ良いと思います。ジョン・F・ケネディの「F」。
マイケル・J・フォックスの「J」が洗礼名(ミドルネーム)と呼ばれるものです。
 アメリカ人もキリスト式の戒名をもらって、生きてる時から堂々と
使っています。 日本人でも、戒名を雅号や俳号に使っている人がいます。
雅号とは、書家、画家、作家が使うペンネームの事です。
俳号は、俳句を作る人のペンネームの事です。
 なお、「改名」は「かいめい」と読み、名前を変えることで、仏教用語ではありません。   

 二、戒名の種類

  戒名は、下記のように、分類できます。
 ○○院□□△△居士  この場合、「○○院」が院号、「□□」が道号、
 「△△ 」が戒名、「居士」が位号となります。

 まず、「院号」から説明します。
 院号は、退位した天皇の住む所の名前でした。退位した天皇は、
大抵、僧侶となるため、住むところはお寺となり、院号はそのお寺の
名前になりました。そして、住んでる元天皇の名前を院号で呼びました。
後に、皇族にも院号が与えられるようになりました。
 江戸時代(年号は、ハッキリしません。)になりますと、新しくお寺を
建て寄進した武将にも与えられました。また、一般の者にも、旦那寺や、
その宗派に対し顕著な功績があった者には、院号が与えられました。

 ここで、勘違いなさるといけませんので、つけ加えますと、
この、院号を授かった人たちは、信仰心が篤く、禅門に帰依し、
寺によくお参りし、坐禅をし修行を積んだ方であることは、言うまでも有りません。
  院号とは、高い金を出せば買えるものでもないし、与えられる資格の
ない人が、金銭で院号を買っても何の値打もないわけです。
 あんごう庵号、けんごう軒号も院号に準じたものです。

 次に、「道号」に付いて説明します。  道号とは、「自己の所願
または所得の道を表して付する号」と辞書には出ています。つまり、
その人の目指していたこと、なしえたことを表して付けられた名称。
もっと言えば、その人の業績、性格、徳といったものを現わすのが
道号という名前なのです。
 この道号と戒名の四文字を一般に戒名と呼んでいます。

 次に、「位号」に付いて説明します。  位号は、その方の性別、
年齢、信仰心、修行、旦那寺に対する貢献度、社会に対しての
貢献度等により、次のように分かれています。  

居士・大姉・・・成人に達し、信仰心が篤く、禅の修行をよく 積み、旦那寺にも貢献した方。

信士・信女・・・現在は、十五、六才以上の方で禅を信仰していた方すべて。

童子・童女・・・四才から十五、六才までの方。  

孩子・孩女・・・二、三才の子供。  

嬰児・嬰女・・・一才の子供。  

水子・・・・・・・・死産流産した赤ちゃん。

他にも、禅定門、禅定尼、等があります。    



三、葬式に於ける戒名の実際

 色々、お話してきましたが、実際問題、生前に授戒し戒名を受ける方は、
ほんの僅かです。生前は、仕事に追われ、禅を学ぶことができなかった、
仏教の教えを実践する縁がなかったが、せめて戒名だけはと言う遺族の方の
希望により、戒名をお付けしています。  そのため、葬式の前半に、
「剃髪」(髪の毛を剃ること)、「懺悔文」(読んで字の如し)、「三帰依」
(仏法僧の三宝に帰依する)等の授戒会のお勤めをしています。
それらのお勤めにより、戒名を授けているのです。
 肝心なのは、故人が立派な戒名を授かったら、遺族の方は、その戒名に恥じない、
信仰のある生活を送って頂きたいのです。
仏門、禅門の入口で、足踏みをせず、もう一歩踏み出し、
春秋の彼岸法要、夏の施餓鬼会などの、禅の行事に参加してみては如何でしょうか。
故人や先祖を供養することが、自分を供養していることになるということに
気づいて頂けたらと思います。
そして、禅宗の根本である坐禅を、少しでも経験してみませんか。
あなたが坐禅することが、禅宗の戒名をもらった仏さんへの、
なによりの追善供養になるのではないかと思います。

四、最後に

 私が、京都で僧堂(修行道場)にいたとき、在家の方も、
坐禅しにお見えになりました。長く通ってきている方を、男性は居士さん、
女性は大姉さんと、お呼びしていました。
みなさまも、どうぞ、お気楽にお寺にお越し下さいませ。  

 不明瞭な点、分からない点がありましたら、

大阪仏教テレホン相談室 6245ー5110

  まで、お電話下さい。    

難波寺住職                      三木 應岳 合掌